185青丹よしと唄われた奈良の土の色壁の発生 食糧をたくわえる隠れ場と安定した縄張りをつくる野ネズミやリスの如く、はじめは季節的であれ、そうした隠れ場に定住するのが人間にとっての家であった。たとえばアイヌにとってチセとは家であり、屋根であり、主婦であった。女が草や木枝を拾い集め三角の屋根をつくる。いわば、獣を追いながら旅をする狩猟民のテントのようなものだ。屋根の中に食糧をたくわえる。炉を切る。狩猟採集から農耕が始まり定住が安定したものになると、男が柱を立て、女のつくった屋根を柱の上に載せ、まわりを草や木枝で囲む。それが壁の始まりである。壁もまた女の手によって囲まれる。三角の屋根のように雨を外に切ることのできない垂直の壁は、いつか泥を塗ったり、石を泥で積んだ壁となる。 そのころはまだ屋根も壁も女のやわらかいラインでつくられていた。乳房や尻のようなライン、髪の毛のようなふんわりしたヴォリューム、インディアンの泥の家のように手でなでられたつややかな壁……。いわば、女が糸をつむぐように石臼で穀右上/唐招提寺の土塀。 左上/薬師寺周辺の民家。 右中/奈良公園にて。 左中/畝傍山近辺の民家。 右下および左下/山の辺の道近辺にて。
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