雑誌「チルチンびと」72号掲載「古材追想」
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て、風雨にさらされる外側の材料は20~30年の改修期に交換してゆかねばならないが、主要な木の骨組は100年単位の耐力が要求される。すでに150年を経過しても尚、ヤニを出し、乾期になればバリッとひび割れる赤松の梁は、今でも十分生きていることを自己証明している。我々が日々その瞬間瞬間に居住しながら、受けている安らぎや幸福感は、この力強い部材の組み合わせで生まれる建築の存在感によるものであろう。 思い出の古板と運命の再会 私の古材活用の最新事例として、茶室におさめる桜の床とこいた板の話題がある。今から10年ほど前、ハワイに古民家を移築しようとして現地のビルダーと出会い、工事の打ち合わせをしていた時のことである。日本では古民家を一度解体して別の場所で再利用することに感動した彼は、京都の友人が、古家を解体しようとしていたことを聞きつけ、解体材をすべてゴミ焼却しないよう申し入れたらしい。早速その友人から私のところに電話が入り、急いで解体現場に赴いたところ、それは素晴らしい大正期の数寄屋風町家がつぶされる直前だった。格子戸をくぐると、玄関脇に美しい露地庭と四畳半の茶座敷が目にとまった。所有者は価値あるものがあればどこかで利用してくれれば嬉しいと、必要なものの贈与を申し出てくれ、間口一間半・奥行き半間の珍しい桜の床板や、赤松面皮の床とこばしら柱と、竿縁天井等を解ほどいて持ち帰った。この桜の地板は先の島村葭商店の倉庫奥に最近まで大切にしまわれ続けていた。 昨秋、私の生まれた四国の旧知の先輩夫妻から電話を貰い、ご主人の母が住んでいた築50年の古家を直せないかとの相談があった。路地に面した鉄筋コンクリートと木造の混在した2階建て住宅だったが、構造的には健全なものだったので問題なく古材を使ってリニューアルすることを提案した。その準備期間中にたまたま家の中を片付けていた奥様が、義母の箪笥の中から古い掛け軸を数本発見し、その中に先代が大事にしていた家宝だと思われる、江戸期の高名な画家名の記された桐箱が出てきた。 この事件をきっかけに、リニューアルプランの中心にこの軸を掛ける床とこ付きの和室、古箪笥を置く小室が登場することになった。正面玄関を入ってまず、土間、敷台、茶室3畳を構え、次に水屋付きの2畳の控室を並べ、その奥に居室、食堂、寝室へと続く間取りが生まれてきた。奥様は事の成り行きで発生した平面計画を消化するのにしばらく悩んでいたが、あこがれの茶室島村葭商店から四国の加工場に送られた松梁。同店には、滋賀県内外から集まったたくさんの古材がストックされ、「嫁入り」を待っている。(以下特記なき写真は著者提供) 下/デイビス邸にもこれらの松梁が使われている。(写真/西川公朗)35

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