雑誌「チルチンびと」72号掲載「古材追想」
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余裕があれば必ず文化遺産を求め修復することを、当たり前のように実行するパトリオティズムが根付いている。 一例として、私の友人であり、ベルギーのアントワープに住む古美術商で現代芸術の蒐集家アクセル・フェールヴォルト氏のことを加えたい。5年前、彼は60歳を契機にべネチアで展覧会を開き、『ARTEMPO』というカタログ本を出版した。ラテン語で「時間の芸術――芸術は時間によってつくられる」という意味のタイトルがついたビエンナーレ参加展であったが、古いパラッツオ(貴族の館)を改修したフェニーチェ衣装美術館を舞台に、彼の眼を通して選ばれた現代美術作品群を展示した。 建物の古びた壁面やタピストリーを背景に、インスタレーションする彼独特の方法は、ほとんど作品の解説をすることなく、世界中から集めた無名かつ古びたオブジェたちを、著名な芸術作品と混在させて陳列する。美の世界において、時が刻む根源的な役割を考えながら、現代美術を古物を通じて時間の中に潜り込ませ、混在のまま並置したのである。特に西洋のものだけではなく、東洋から集めた古こぎれ裂、古道具、石木片や陶器片が放つ異臭の中で、美の本質を鑑賞者に問うものであった。 彼はその2年後に再び「IN-FINITUM(無限なるもの)」と題する展覧会の招待状を送り届けてきた。時間を永遠に循環するものとして捉えてきた日本の歴史意識と彼特有のコスモロジーの対話が予告されていた。この展覧会では、面白いことに会場の1階から3階まで、作品群が巡礼路になぞらえた道行に沿いながら、海から収集した松杭と古板の台上に展示され、最後には再び入口に帰ってゆくという、東洋的時間概念を、古物の表象する時間空間として具現化したのである。 このように世界の文化が多様に交錯する中で、日本の我々の周りでは、無反省にただ新しく経済的とされるものを大量につくることを求めて、古いものたちを壊し使い捨てにすることがあまりに日常化している。古くなったものたちの価値を今一度見つめ直し、自然や歴史的時間を大切にしてきた先人たちが残してきた文化遺産としての建物や町並みを、その地域ごとの人々に可能な方法で、創造的に紡ぎ直してゆくことが大事ではなかろうか。そして、その手段として、地域に住む人々が主体となって周辺環境を計画し、再生することができる制度を同時に整備することが求められている。きのした・りょういち1946年徳島県生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。ベルギートゥールネ市サンリュック建築大学留学。77年一級建築士事務所 アトリエRYO設立。古民家の再生や移築プロジェクトを数多く手がける。NPO法人「京町家再生研究会」および「京町家作事組」理事。ベネチアで行われたフェールヴォルト氏の展覧会の設営風景。著者が留学したベルギー南西部の都市、トゥールネ。5~6世紀に西ヨーロッパの覇権を握ったメロヴィング朝発祥の地である古都。左に見えるのは世界遺産、トゥールネのノートルダム大聖堂。37

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